「女郎山」の伝説

伊予鬼北と土佐中村を結ぶ間道、徳川時代の元禄のころ

土佐藩の隠密香宗部元治は宇和島藩の情勢を探索するために同地区に滞在、

旅の徒然と物情を探るために妻子のある身であることを隠し土地の女と同棲していた。

藩の急命により帰国となり別れ話をしたが、

応じてもらえず、しかたなく山道を帰りについた。

途中黒尊神社祭に出合い酒宴誘われ飲んでいる時元治は女をおいて一人でたった。

女は夫を探し山里の方へと駆け出した。

途中で出会った者に尋ねると、今しがた酒に酔った旦那が

「連れの女を見かけなんだろうか」と言って大宮方面の山道を登って行ったとのこと、

旦那の名を呼びながら山奥へと登った。

男は大宮方面には行かず脇道に入って隠れていた。

女の姿は上の方に消えて時々泣き叫ぶような声だけが

夕暮に近い深山にこだまして聞こえていた。

しばらく時が経ち、はるか峠の方で魂をゆさぶるような

怨みの叫び声がこだましてくるのを後に

幾度か夕陽の薄れゆく頂きを振り返りながら

人目を避けて玖木から口屋内の方へ下って行った。
幾日か過ぎて峠を越えてきた人によって

峠付近に若い女の腐乱死体が横たわっていて、

そのそばに女の持っていたと思われる鏡が投げ出されており、

髪の毛を唇の中に噛み締め恨みの形相ものすごく

右手は何かを掴むように肘を突き伸ばしており、

肩や脚などは狼に喰われたものかえぐり取られていたという。

狼に襲われた時には鏡をだして追い払うというが

この地には狼はいなかったようで熊ではなかったか?

以来この山を女郎山と呼ぶようになった。