史跡

津島城跡

奥屋内上地区、奥屋内小学校北方の山上にあり、天正元年一条兼定が長曽我部元親により中村を追われて伊予津島の城主津島宗雲を頼り中村奪還を企てる際のものとして宗雲の家老鴨原右馬左衛門兄弟を奥屋内の土豪篠田宗円の元へ送り、築城した。

宗雲は南予西播地方にて一条に有志の者を糾合して中筋方面から、宗円は奥屋内から目黒川沿いに撃って出て四万十川沿いに南下し宗雲と呼応して一挙に中村を占領為松城に入り大いに凱歌を挙げたが、一条軍は内部叛乱をおこし、加うるに長曽我部の援軍七千三百来るに及び敗れてそれぞれの自領に引き上げた。

一覚陣跡

奥屋内下イヅリ谷上流尾根上にあり伊予河原淵城主柴左京之進一覚が長曽我部元親の命により小串城沖長門守と呼応し篠田宗円の築いた津島城を攻撃する目的で築かれた。

小串城

奥屋内下小串森頂上にあった。天正5年長曽我部元親の命により、出井の豪族沖長門守良定が築いた。

 

この三城はそれぞれ奥屋内上下両部落を一望下に収め、それぞれに等辺三角形の頂点に当たる位置に位していた。

天正5年長曽我部元親は小串城を築いた沖長門守良定と柴左京之進一覚に津島城を南北より挟撃の態勢をとらせたが、互いに秘術を尽くしての攻防に容易に勝敗を決しえなかったようである。

双方攻めあぐねた頃のある夜、土佐方の謀将広田伊賀守と申す者巧みに篠田宗円に取り入って、これを謀り津島陣の城内深く潜入し欺し討ちにて宗円を討ち取り、その騒ぎに乗じて鴨原兄弟をはじめとし陣中の主要なる武将四人を討ち取り、城に火をかけた。火の手を合図に小串・一覚両陣より一挙に攻めかけて遂にさしもの津島陣も陥落し、一条家再興の壮挙もこれをもって終結した。